Chemin du Gastronome
Les gagnants du Prix Taittinger Japon
コンクール・テタンジェの覇者たち

【第4回・前半】 下村 康弘 シェフ

Monsieur Yasuhiro Shimomura

料理人の総合力が問われる最高峰の料理コンクール「<ル・テタンジェ賞>国際シグネチャーキュイジーヌコンクール」。

日本の優勝者にインタビューをする第4回目は、2008年「第42回<ル・テタンジェ>国際料理賞コンクール・ジャポン」で優勝し、パリ本選では見事2位に輝いた、現在は株式会社オリエンタルランド フード本部 総料理長として活躍される下村康弘シェフです。

毎年たくさんの若手料理人の方が応募し、競ってきたコンクールは2001年に日本大会が再開して以降、すでに3名の方がパリの本選にて「第3位」になられています。

その「第3位」の壁を突破し、見事「第2位」になられた下村シェフは、小学生のころから料理がお好きだったそうです。専門学校を卒業されて就職してから、日本大会で優勝されるまでの経緯をいろいろとお話ししてくださいました。


堀田シェフは大分県出身、中宇祢シェフは高知県出身でした。下村シェフはどちらのご出身ですか?

「私は東京・世田谷出身で、小学5年生の時に引っ越しをして就職するまで川崎に住んでいました。当時は全然知らない地域だったので、新たに友達を作るにしても大変でしたよ。」

パーク内のレストランにて笑顔でインタビューに答えてくださる下村シェフ

料理人を目指したのはいつ頃ですか?

「母は料理が得意で洋食をよく作ってくれました。これは祖母の影響で、祖母はGHQのタイピストをしており、アメリカ人将校の家庭でビーフシチューなどの洋食を教えてもらっていたみたいです。それを母に伝授していて、よく家で作ってくれていました。それがとても美味しくて・・・そして料理を作ることにも興味があったので、小学4年生のころからよく母の料理を手伝っていました。そのため中学生の頃には料理人になりたいと思っていました。両親も『この子は料理人になるのだろう』と思っていたようです。」

中学生のころには進路を決めていらしたなんて、早いですね!

「そうですね。高校は普通高校へ進み、その後は服部栄養専門学校に1年間通いました。」

専門学校を卒業された後は、どちらへ就職されましたか?

「専門学校卒業後最初に就職したのは田園調布のレストランです。そこのシェフがとても可愛がってくれまして、そのシェフがレストランを移るたびに一緒に連れて行ってもらっていました。ですが、あまりにもレストランを変わっていくので、それもどうかと思い、ホテルに就職することを決めました。」

どのくらいレストランを移られたのですか?

「1年間に5軒くらいは移りましたね。」

1年間で5軒はすごいですね。そんなにいつも一緒にいたのであれば、そのシェフからはホテルに就職することに反対はされませんでしたか?

「もちろん、ものすごく反対されましたよ。『ホテルに就職しても配置される部署によっては仕事を覚えられないぞ』と。ホテルは部署によって限られた業務を専門的には覚えられますが全体を見渡せる仕事には携われなくなりますからね。それでもホテルで勉強したほうがよいと思い転職しました。」

どちらのホテルに就職されましたか?

「大津プリンスホテルのオープニングスタッフとして入社しました。オープンまでに1年あったので、開業準備室に配属されて、都内のホテル・東京プリンスホテルのフレンチレストラン『ボーセジュール』で研修をしていました。」

ホテルでのお仕事はどうでしたか?

「いやー、それはもう大変でしたよ!東京プリンスホテルの研修のときに佐野シェフ(現・株式会社プリンスホテル 湘南・箱根・伊豆エリア 総料理長)と一緒に配属され、大津プリンスホテルのオープンでも一緒に働いていました。大津プリンスホテルは本当にレベルが高くて!!東京プリンスホテルもとても厳しくて、こんなに厳しいところは他にないだろうと思っていたのですが、大津もそれにも勝る厳しさでした。とても繊細な作業が多くて、一つ一つの下処理の丁寧さも素晴らしかったです。食材の組み合わせ方や味の引き出し方など、みっちりと仕込まれました。求められることが細かくて、適当な作業が全くないというか。そこにいたメンバー全員の意識がとても高く、それにはびっくりしました。当時のシェフは南仏出身のフランス人(フィリップ・オブロンシェフ)でした。当時プリンスホテルのフレンチレストランには必ずフランス人シェフがいましたね。」

では、大津プリンスホテルでかなり鍛えられたのですね。

「ええ、それはもうかなり鍛えられました。私の原点です。本当に怒られっぱなしでした。所作ひとつでも注意されましたから。」

大津プリンスホテルにはどのくらいいらっしゃいましたか?

「2~3年だったでしょうか?関西に1人で来て、もちろん知り合いもできて仕事はしやすかったのですが、新しくリニューアルオープンする横浜プリンスホテルに興味があったことと、父の地元が横浜だったこともあり、そちらへ戻りたいなと思い、異動願を出しました。当時は5つ星ホテルといわれるくらい話題のホテルでしたね。こちらには10年以上勤務しました。」

プリンスホテルからすぐにオリエンタルランドに入社されたのですか?

「いいえ、尊敬していた先輩に『少し力を貸してくれないか』と呼ばれたので、その間に1年ほど、エクシブの伊豆で働いていました。思っていた仕事と少し乖離があったので1年で退社してしまいましたけど・・・。その後、この先料理長やシェフとして働くうえで、人材育成や経営面なども勉強をしなければいけないなと思ったので、そこに定評のあったオリエンタルランドに入社することを決めました。ちょうど東京ディズニーシーがオープンする頃で社員募集をしていました。いろいろなホテルから沢山の方が入社していましたよ。」

オリエンタルランドに入社されてからテタンジェコンクールを受けていらっしゃいますね。何かきっかけのようなものはありましたか?

「1994年にコンクール・アンテルナショナルで佐野シェフが3位に入ったことは衝撃的でした。当時は3位以内に入ることはものすごいことで・・・職場でも大騒ぎでしたよ。3位以内に入れたのは堀田シェフ以来10年ぶりでしたしね。その姿を近くでずっと見ていたので余計に感慨深さもありましたし、早い段階でテタンジェコンクールには自分も出場したいなと思っていました。また、今までやってきた料理の証を残したいとの思いもあり、それがコンクールへの原動力になりました。」

中宇祢シェフもそうでしたが、テタンジェコンクールの日本大会で優勝されている方はプリンスホテル出身の方が多いですね。やはり影響は受けましたか?

「そうですね。私はテタンジェコンクールのパリ本選で3位になった佐野シェフや佐藤シェフの隣で、練習している姿を見ていたので、相当感化されました。 初めて参加したのは第3回のFFCCのコンクールで、その時は準決勝で敗退しました!!その時一緒に出場していた佐藤シェフとは横浜プリンスホテルで同時期に働いていたので、練習もお互い意識しながら行っていました。その時にコンクールの楽しさを知り、それ以来様々なコンクールに出場しましたよ。」

コンクールが楽しいとはすごいですね!テタンジェコンクールには2004年に出場して、その次は4年後の2008年に出場されましたが、その間は出ようとは思わなかったのですか?

「一事業所1名しか出られないので、残念ながら毎年は出られませんでした。その間は他のコンクールに出場していました。」

オリエンタルランドからは2007年に大高シェフが出場されて日本大会に優勝されていますね。

「その年に本当は私が出たいなと思っていたのですが、テーマが『鯉』だったので、さすがに鯉はちょっと難しいなと思い、大高さんにお願いしてしまいました(笑)。いまだに言われますよ、『自分が苦手なテーマだからって、僕が出場させられたのですよ。僕だって鯉は得意ではありませんからね!(笑)』と。」

それでも日本大会で優勝された大高シェフは素晴らしいですね!とても刺激になったのはないですか?

「ものすごく刺激になりましたよ!『うわぁ、先を越されてしまった』と焦りました。」

そして、次の年に出場されましたね。

「2008年の国内大会のテーマは『鯖』でした。『鯖かぁ』と見た瞬間動揺しました。どう調理するか本当に悩みました。鯖は庶民的な食材ですし。テーマがアンティエールだったので、ファルスするしかないなと思っていました。副食材をみると、イカなどの食材が並んでいて、普通に考えたらイカを使ってファルスを作って、中に詰めるのが一般的なのだろうなと思ったのですが、火を通さなければいけないファルスを作ってしまうと、火入れの温度を中心に合わせた時に鯖の身自体に火が入り過ぎてしまうし、鯖の本体に温度を合わせると今度は中心に火が通らないし・・・ファルスだけ先に火を入れてしまうことも考えましたが、美味しくないな、と。そこで、ファルスは完全に火が通らなくても大丈夫な食材にして、鯖を美味しく食べられる温度に仕上げようと考えました。それと同時に中のファルスには鯖の臭みを取ってくれるものが良いと思い、オレンジを加えて臭み抜きをしながらも身を最大限にジャストキュイする料理にしようと考えました。イタリアのほうではオレンジを使って臭みを取ったりしますしね。」
※ファルス・・・肉や魚、野菜などの中に別の食材を詰めた料理。
※キュイ・・・火をいれること。煮たり、焼いたり加熱処理すること

第42回大会のファイナル実技審査の内容

鯖は個体によって脂の量が違いますが、そのあたりはどうされましたか?

「はい、ですのでブレゼにしました。鯖から出る旨味も逃したくないし、でも、余分な脂は抜きたいなと思い、ムール貝でジュを取って、そのジュの上に網と鯖の身を乗せてブレゼしながら蒸気で蒸して、鯖から落ちてくる旨味をそのジュで受け止めて、ソースにしました。」
※ブレゼ・・・密閉できる容器に素材と、素材が半分浸かる程度の水分(水・だし汁・ワインなど)をいれ、オーブンに入れて加熱して「蒸しながら煮る」調理法

美味しそうですね!ファルスの中身は結局どうされたのですか?

「中身は、シャプリュールをベースにオレンジやナッツ類、香草類を練り込みました。美味しく出来たと思いますよ(笑)。」
※シャプリュール・・・パン粉

シャンパーニュ・テタンジェと合いそうなお料理ですね!

「もちろん、この料理にはシャンパーニュ・テタンジェを使いましたよ!調理工程的にもすごく理にかなった料理だったと思います。」

当時書類審査には80名ほど応募されていましたね。その中から8名実技審査に選ばれました。

「(メンバー表をみながら)、そうそうたるメンバーでしたよね。今城シェフ(帝国ホテル大阪宴会調理シェフ)はその前に日本大会で優勝していますし、浜田シェフ(星のや東京料理長)はこの後にボキューズドールで優勝していますよね。」

※ボキューズドール・・・ボキューズ・ドール国際料理コンクールのこと。1987年に“現代フランス料理の父”と称されるポール・ボキューズにより創設されたフランス料理コンクールです。

第42回大会審査員とファイナリスト

コンクールを受けるに際してどのようなことをお考えになりましたか?

「(日本大会当時の写真をみながら)若いですね~(笑)。当時、テーマが発表されてすぐに鯖をどう調理するか、様々なことを考えました。一回ルセットを提出してしまったら作り直せないじゃないですか。周りは意識しないで、料理自体に意味のある料理、自分が完璧に作れたら勝てるものを作ろうと考えました。自分に打ち勝ち、自分が失敗しなければ勝てるものを、ということをかなり意識しました。」

調理審査に臨んでいる下村シェフ

そのような意識って大事ですよね。

「そうですね。今までいくつかのコンクールに出場しましたが、食材の組み合わせ方や調理工程にもきちんと意味合いを持たせながら、メイン料理を美味しく食べさせるための付け合わせや全体のバランス、皿に乗っている全ての食材が意味のあるものに仕上がるように完成度を高めました。なので、予選を通る自信はありましたね。決勝の実技も、自分が失敗しないで、自分の力を出し切って、思った通りの料理を再現できれば優勝できると思っていました(笑)。」

すばらしいですね。勝つためにそれだけの意識を持っておられたのですね。

「いや、でも実技審査当日は水を飲みすぎて開始15分でお手洗いに行きましたよ(笑)。毎回コンクールに出るたびに脱水症状のようになることが多かったので、それを教訓に水分補給は欠かさずにしていました。逆にお手洗いに行きたくなるような状態でも、精神が研ぎ澄まされていたというか、周りがどういう料理を作っていて、何をやっているのかが意識しなくてもよく見えていましたよ。ランナーズハイのような感じでしょうか。程よい緊張感と興奮がそこにありました。」

水分をしっかり摂られているのがよくわかります。

だからこその1位ですね。

「それでも、もっとこうすればよかったと思う個所はいくつもありましたよ。もっと良いものが作れたのではないかと、満足感で満たされたわけではありませんでした。過去の経験からいうと、『自分ができた!』と慢心したときほど、自分の料理が見えていないと思います。自分の改善点が見えていたほうが冷静に周りも見えていて調子がいいのかもしれませんね。」

優勝し、喜びを語る下村シェフ

順位が発表された瞬間はどうでしたか?

「ホッとしたのが正直なところです。もちろん嬉しかったですけど、前年に同じオリエンタルランドの大高シェフも優勝していましたし、当時39歳でテタンジェコンクールに挑める最後の年だったので!次はないというのもありましたし。安堵感でいっぱいでした。」

所属先「東京ディズニーランド」、それまでホテルやレストランの方々が入賞されていたので、2年連続で「東京ディズニーランド」の方が優勝されて周りの反応はいかがでしたでしょうか?

「『ディズニーランド?』って・・・・感じでしたよね(笑)」

前列左から、2位石井シェフ、1位下村シェフ、3位市原シェフ
後列は審査員のシェフの皆様
日本大会当日の下村シェフの作品

インタビューの後編は、パリ本選での体験や下村シェフのこれからの夢について語ってくださっています。(後半はこちら

◆下村康弘 シェフ

【経歴】
1988年4月 株式会社プリンスホテル入社
      東京プリンスホテル、大津プリンスホテル、横浜プリンスホテル
2000年4月 株式会社リゾートトラスト入社 エクシブ伊豆
2001年6月 株式会社オリエンタルランド 入社

現在 株式会社オリエンタルランド フード本部 総料理長

【料理コンクール受賞歴】
2003年 第10回メートル・キュイジニエ・ド・フランス
    ‘ジャン・シリンジャ―杯’ ファイナリスト(4位)
2004年 第38回ピエール・テタンジェ料理賞コンクール・ジャポン 第3位
2006年 第12回メートル・キュイジニエ・ド・フランス
    ‘ジャン・シリンジャ―杯’ 第3位
2008年 第42回ル・テタンジェ国際料理賞コンクール・ジャポン 優勝
2008年 第42回ル・テタンジェ国際料理賞コンクール・アンテルナショナル 準優勝

【加盟団体】
・一般社団法人日本エスコフィエ協会 ディプシル会員
・トック・ブランシュ国際倶楽部 会員
・ラ・シェーヌ・デ・ロティスール協会 関東支部 会員

ARTICLES ASSOCIÉS

  • 【第6回】 鎌田 英基 シェフ
  • 【第5回・後半】 堀内 亮 シェフ
  • 【第5回・前半】 堀内 亮 シェフ
  • 【第4回・後半】 下村 康弘 シェフ

DERNIERS ARTICLES

  • 【第6回】 鎌田 英基 シェフ
  • 【第5回・後半】 堀内 亮 シェフ
  • 【第5回・前半】 堀内 亮 シェフ
  • 【第4回・後半】 下村 康弘 シェフ