Chemin du Gastronome
Les gagnants du Prix Taittinger Japon
コンクール・テタンジェの覇者たち

【第3回】  堀内亮アシスタントシェフ×関谷健一朗シェフ

Monsieur Ryo Horiuchi × Monsieur Kenichiro Sekiya

来年2022年1月25日、新型コロナウィルス蔓延のために1年延期になっていた第54回<ル・テタンジェ賞>国際シグネチャーキュイジーヌコンクールがパリにて開催されます。

開催にあたり、昨年の日本大会で優勝し、見事日本代表となられた堀内亮アシスタントシェフ(パレスホテル東京 フランス料理「エステール」)と2018年にアンテルナショナルで日本人として34年ぶりに優勝した関谷健一朗シェフ(ジョエル・ロブション エグゼクティブシェフ)のお二人にお話をお伺いしました。

2018年当時のエピソードやお二人のフランスでのお話、コンクールに関する思いなど、挑戦したシェフとこれから挑戦するシェフとの特別な対談となっています。


コロナ禍でのレストラン営業は大変かと存じます・・・。

2人口をそろえて:「かなり厳しいですね。」

堀内:「うちはホテルの中のレストランなので、宿泊のお客様がレストランに来店する場合があり、まだ良いほうかも知れません。」

フランス料理といえばワイン。2021年9月現在、緊急事態宣言が発出されアルコールの提供の自粛を求められています。その影響はありますか?

関谷:「『お酒が解禁になってから来るわね。』というお客様もいらっしゃるので、多少なりとも影響はあるのではないかと思いますよ。ホテルもお酒は提供してないですよね?」

堀内:「客室であれば提供しても大丈夫なので、たまにインルームダイニングでエステールのお料理とワインを頼まれる方がいらっしゃいますね。」

インルームダイニングとしてエステールのお料理とワインをいただくなんて素敵ですね。
さて、いよいよパリ本選も4か月後に迫りました。堀内さんから関谷さんに聞いてみたいことはありますか?

関谷:「堀内さんはフランスで働いていたから大丈夫ではないですか?」

堀内:「確かにフランスには6年いましたが、コンクールの会場であるフェランディには行ったことも見たこともないので、器材のことなど詳しく知りたいですし、食材の持ち込みのこと等知りたいです。」

関谷:「私が受けた時と規約が変わってしまい、食材は当時持ち込めなかったのですよ。今はこだわりの食材は持ち込みができるとはいえ、フレッシュのものは日本から持ち込むことは不可能なので、そのようなものは現地調達するしかないですよね。そのあたり堀内さんはフランスにいらしたからきっと大丈夫ですよね。私は向こうでほしい器材がなくて、いろんな知り合いに聞いて探したりしました。会場の厨房設備に関しては不自由なく、なんでもあるという感じでしたよ。鍋やボウルなどの道具も会場にはあるのですが、置いてある場所が自分の調理台より遠い場合があるので、持っていったほうがよいかもしれません。」

堀内:「ありがとうございます。どうしてもこれは持っていきたいという器材だけ、日本から持っていこうと思っています。」

フランスでの話を丁寧にお話していく関谷シェフ。

一昨年に規約が変更になり、関谷さんが本選に臨んだ時とは違いますよね。
以前は本選の2週間前に「魚介類のターバン風」や「四つ足の獣」等、ざっくりとしたテーマが通達され、前日にくじ引きでメイン食材が決定しました。今は、予選のテーマがそのまま本選に持ち越され、ヒントなしで前日に副テーマが発表されます。それについはどう思われますか?

関谷:「私の時は『魚介類のターバン風』というテーマが2週間前に発表されましたが、メイン食材がわからない。メインとなる料理の主材料がわからないのはとても大変でした。でも、今はメインのテーマはもうちゃんとルセットが出来上がっているもの、完成しているものを作れる。あとは前日発表の副テーマを作ればいいから楽になったなと思います。」

堀内:「メインの食材がわからないと配合なども変わってきてしまいますしね。確かに今のやり方のほうが私もいいなと思います。」

前日のテーマ発表会場には、使用できる食材が展示されます。何かエピソードがありましたら教えてください。

関谷:「私はコンクールの前日に審査員のエリック・ブリファールさんにお願いして、一つ食材を追加してもらったのですよ。ワイン類はあったのにコニャックがなかったのです。エリックさんから審査員長に伝わり、当日に追加が決まりました。もちろん、私だけが使えるわけではなく、ほかの人たちにも『コニャックが追加されたから使っていいよ。』と伝えられているので公平ですよね。フランスでは、ちゃんと言わないと伝わらないので。何かあったらしっかり言ったほうがいいですよ。」

堀内:「そうですね(笑)。そのあたりも気を付けたいと思います。」

コンクール前日にこのように使用できる食材が展示されます。

関谷さんは、9年パリで働き、フランス語が堪能というということで、本選でも通訳がはいらずにコンクールに臨みました。一人につき一人つくコミ(フェランディの学生)の方とのコミュニケーションも難なくできたと伺いました。

関谷:「コミは、自分の手足のようにバシバシ使いましたよ(笑)。調理場審査の項目の中に『コミをしっかり使えているか』という項目もあったので、洗い物なりなんなり使ったほうがいいですよ!」

堀内:「コミとの顔合わせみたいなものはあるのですか?」

関谷:「当日の朝、フェランディでくじ引きがあり、引いた番号順に調理場に入っていくのですが、その番号とコミがセットになっています。そのあと30分くらい打ち合わせがあります。1番手の人は打ち合わせが終わり次第すぐに調理場へ向かいますが、6番手7番手になったからといって、その空いている時間で打ち合わせはできません。ここの打ち合わせ時間が違うと公平ではないじゃないですか。コミは何を作るのかも知らないので、試作の時の写真を見せたり等丁寧に説明してあげるといいですよ。そして、コミの子たちは自分たち以上に緊張しているので、審査が始まってからも私はジョークを言ったりして、緊張を少しほぐしてあげていました。」

堀内:「それは・・・・フランス語がしっかり話せないとなかなか難しいですね(笑)。」

関谷:「初対面だし、それくらい笑顔で対応してあげるとスムーズに進行できると思います。あとは自分のコミ以外に会場で数人コミのようなひとたちが立っていたので、彼らにも『氷持ってきて』とかお願いしちゃいました。」

堀内:「それって、お願いしてもいいのですか??」

関谷:「わからないですけど・・・だめならだめだと言われるだろうし。ガツガツいかないとだめですよ!」

一言も聞き逃さない様に真剣に話を聞く堀内アシスタントシェフ。

堀内さんも通訳なしでコンクールに臨めそうですね。

堀内:「今は日本にいますが、フランス人シェフと一緒に働いているので、フランス語は忘れていません。言葉だけでなく、職場では日々いろいろなことを学べているので、とても勉強になっています。」

関谷さんのコンクールのお話を伺うと、とても落ち着いてコンクールに臨んでいたのがわかります。

関谷:「全然緊張してなかったですね。前日もすごく早く寝て、爆睡でした。」

堀内:「それだけ自信があったということですね。」

関谷:「ここまできたら諦めがつくというか、あとはやることをやるだけだな、と。そして、フランスに来られたことが純粋に嬉しかったのを覚えています。実際パリは9年住んでいたので、ノスタルジーな感じも強く、ホームのような感じでした。滞在していたホテルもパリでたまたま勤めていたラトリエ ドゥ ジョエル・ロブションのそばだったので、通勤のことなど思い出していました。」

2018年、アンテルナショナルで優勝した関谷シェフ。
日本大会審査員長の堀田シェフと共に。

前回(第53回)のコンクールのテーマは「ホタテ」、前日に発表されたテーマは「冬野菜のピティヴィエ」でした。関谷さんはフランスで審査員をなさっていましたが、いかがでしたか?

関谷;「私はホタテの試食審査をしていたので詳しくはわからないのですが、ピティヴィエは8人中1人しかしっかり出来ていなかったと聞いています。その方は普段から作ったことがあったのかもしれませんね。実際に現場でやっていることがコンクールにも生きてくる。やったことがないものをいきなり作れと言われてもできないですよ。ホタテの料理に関しては、1位の方がダントツ美味しかったのは覚えています。やはり味が美味しいのが大事ですね。」

前回の前日発表のテーマは野菜。肉でも魚でもありませんでした。今回も全く予想がつきませんね。

関谷:「そういえば、テタンジェコンクールは課題にデザートが出るときもあったので、デザートの可能性もありますね。」

堀内:「ということは、タルトなどの練習もしたほうがいいということですね。」

関谷:「パートブリゼは用意してあるけど・・・ということはあるかもですが、やっておいて損はないと思います。」

お二人はそれぞれ9年、6年とフランスでお仕事されていますが、あちらで修業してよかったと思いますか?

関谷:「私は別に修業しているスタンスではなく、ただ働いているという感覚でした。日本に戻ってくる気もほとんどなかったです。普通に生活をしていたのでずっとフランスにいるのかなとも思っていました。」

堀内:「私はいつか日本へ帰るつもりではいました。よかったことは・・・・働き方があちらはよかったなと思います。仕事が終わったら先輩がいてもサーっと帰ることができたり、オンとオフがはっきりしているのがすごくいいなと思っています。」

あちらでテタンジェコンクールを受けようとは思わなかったのですか?

関谷:「全然思わなかったですね。忙しすぎて、厳しすぎて。日々の仕事で精いっぱいでした。余裕がなかったです。」

堀内さん、今回コンクールを受けるきっかけは何かありましたか?

堀内:「コンクールの挑戦は、パレスホテル東京の齋藤総料理長から『受けてみないか?』と声をかけられたからです。フランスのレストラン「レジス・エ・ジャック・マルコン」で働いていた時のスーシェフがテタンジェコンクール3位になっていたこともあり、楽しそうだなと思っていたので受けることにしました。」

コロナ禍でパリ本選が1年延期になりましたがモチベーションは下がりませんでしたか?

堀内:「そうですね、特には下がらなかったです。時間ができたのでソムリエ試験を受けていました。1次試験は通ったので、次は2次試験です。」

関谷さんもソムリエ資格をお持ちですよね。

関谷:「はい、持っています。試験を受けるのに際して、フランスの地理もわかりますし、アルファベットに抵抗はないですし(笑)、料理とのマリアージュもわかるので、アドバンテージはありますよね。」

堀内:「スペイン産のチーズのことと言われちゃうと、私はちょっとわからないのですが(笑)」

最後に関谷さんから堀内さんへ、コンクールに向けて一言お願いいたします。

関谷:「そのままやったほうがいいですよ。誰が見ても恥ずかしいような仕事はしてないだろうし、いつも通りやって、いつも通りの味を出せばいいと思います。あまり気負わずに。フランス人のために味を変えるとかではなくて、美味しいものは美味しいとみんな感じるし。世界のトップクラスのレストランで働き続けていて、世界の味を知っているわけですから。自信をもってやったほうがいいですよ。」

堀内:「とても心強い言葉をありがとうございます。」

関谷:「いつも通り、練習通りできた人が勝つと思います。コンクールは日頃やっていることがでるので、毎日何をやっているかが大事ですね。積み重ねです。料理ってまぐれで作れないじゃないですか。大丈夫ですよ!」

堀内:「とにかく世界一になりたいです。」

2020年日本大会にて優勝し、
シャンパーニュ・テタンジェ(マチュザレム)を
手にして笑顔の堀内アシスタントシェフ。

◆関谷健一朗 シェフ

1979年千葉県生まれ。専門学校卒業後、ホテルでの経験を経て、2002年に渡仏。2006年よりパリにあるラトリエ ドゥ ジョエル・ロブションに勤務。弱冠26歳の若さでロブション氏の推挙によりスーシェフに抜擢される。2010年より東京・六本木のラトリエ ドゥ ジョエル・ロブションのシェフを務め、2020年よりエグゼクティブシェフに就任、現在に至る。2018年11月19日に行われた「第52回 <ル・テタンジェ>国際料理賞コンクール インターナショナル(パリ)」にて、日本人シェフ34年ぶりの優勝を果たす。

◆堀内亮 アシスタントシェフ

1988年京都府生まれ。専門学校を卒業後、「ロオジエ」にて3年間の勤務を経て、ワーキングホリデーで渡仏。パリの「Sur mesure par Tierry Marx」で1年間研鑽を積み、一度帰国。「マンダリンオリエンタル東京」のレストラン「シグネチャー」に勤務したのち、労働ビザを取得して、再度渡仏。「Sur mesure par Tierry Marx」にて2年間、リヨンから南西90㎞の街サンボネ・ル・フロワの「Regis et Jacques Marcon」に部門シェフとして各部門で研鑽を積み、その後副総料理長として計3年間勤務。現在、「パレスホテル東京」のフランス料理「エステール」アシスタントシェフ。

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